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  • 2016.10.28 Friday

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    読みたい読みたい待機リスト追加

    • 2016.09.25 Sunday
    • 23:04

    『街角図鑑』は先週訪れた21_21DESIGN SITEの「土木展」の売店で、妹(貴船山)と感嘆しながら眺めた

    下2冊はツイッターをあさっていて、興味を持った。岩波新書のほうはたぶん明日買ってしまうね

     

     

    三土 たつお
    実業之日本社
    ¥ 1,620
    (2016-04-28)

    マキシーン・ホン キングストン
    新潮社
    ¥ 907
    (2016-06-26)

    長嶋有『三の隣は五号室』中央公論新社

    • 2016.09.24 Saturday
    • 23:14

    積読になっていたのを救出。私は雑誌や新刊情報をまめにチェックしておらず、どなたがTwitterで言及していたのでその翌日に日本橋のタロー書房へ走った。それが6月末。そこからの謎時間の経過。

     

    アパートの同じ部屋(五号室)に暮らした13世帯の生活が行きつ戻りつ語られる。部屋の間取り図が本の冒頭ではなく少し読み進んだところに載せられているの、映像が始まってもすぐにタイトルが出てこない映画やドラマみたいである。(先に個の間取り図をちょっと見てしまった自分にとても後悔している。間取り図が頭に入っていない段階で、五号室の構造が説明されるのだが、そこでどれだけうまく部屋のディティールを想像できるか自分で試してみたかった。なお、長嶋有作品では『ねたあとに』でも間取り図(&「ケイバ」という遊びの進行を描いた図)はとても重要な役割をはたしている。

     

    障子をこれほど丁寧に取り扱っている小説は近年まれではないだろうか…

     

    五号室の隣は四号室ではなく、三号室なのだが、四というナンバリングが飛ばされていることに多くの住人が気づいていないことが、「神の視点」から繰り返し語られる。時間は容易に行きつ戻りつするし(※そのために読みづらいということはない)、「神の視点」は、変な言い方をすると、読み手のこれまでの理解を整理するような言動を繰り返す。

     

    隣の部屋は四号室ではない、というのは、例えば一休さんの会話や推理小説の道具立てには重要かもしれないが、この物語の中では四号室でも五号室でも、住人たちの暮らしに影響はない。

    住人たちが気づいていなかったことを、「神の視点」から伝えられると、世界の広がりの果てしなさに(自分が気づいていないで済ませていることが気の遠くなるほどあることに)圧倒されて、もっと注意深く生きようと一瞬思ったりする。

    が、しかし、現実世界で「神の視点」を持ち合わせることはほぼ無理だし、そういう瞬間がたまに訪れても、なんだかとてもさみしいのである。

    例えば、大学の語学のクラスの同級生Xと、同じサークルメンバーのY、私にとってXとYはどちらも友達だが、XとYは互いに知り合いではない。XとYの素っ頓狂な挙動が似ていてそれに翻弄され、XとYは似ているなあと思い、次の瞬間にXとYを同時に知っている人間はたぶん私だけ、ということに気付いて、なんとも寂しい気持ちになった。

     

    いつ頃どんなものがあこがれられていたかが生々しく伝わってくるすぐれた時代絵巻にもなっている。

    SMAPのこともちょっと出てきて、同じ部屋に暮らしていた(互いのことを知らない)住人が思い思いにキムタクの出てくる番組を見ている。

    視聴率という言葉からはなかなか想像が至らないが、自分の知らない人も、自分と同じテレビ番組を楽しんでいた、ということに思いをはせると、神の視点の寂しさとはまた違った、じわじわとした喜びがわいてくる。ツイッターでも、今自分と同じ番組を視聴している人の存在に触れることはできるが、それこそ「神の(第三者の)視点」から、架空だが実に具体的な描写を与えられると、想像に奥行きが増す!

     

    だいもんじという屋号について

    • 2016.09.14 Wednesday
    • 23:59

    だいもんじという屋号を思いついたのはいつだろう?おそらく、古本屋さんの書いた本を手あたり次第に読んでいたころだと思われる。

    京都らしい名前がいいなあと思っていたなかで本当にスッと思いついた。

    かもがわ、を冠したお店や出版社は既にあるが、ひらがなで『だいもんじ』ってないよなというのはざあっと調べたし、

    ・登るのが比較的容易(=手に取りやすい本)

    ・しかし、登るにはそれなりに体力を要する(=そこそこ読み応えを感じられる)

    ・登る過程もまた楽しい(=読書の醍醐味)

    ・頂上からの眺めや、そこで食べるおやつのおいしさ(=読み終わると、新しい世界が開ける!)

    等々考えると、自分のイメージしていることに合致した、すごくいい名前やんか。と思って大変満足した。

     

    同じタイミングで、手袋を買ったお店かブランドかの名前が「mint condition」で、意味を調べると、「作り立ての」「新しい」「新品同様の」といったことが書かれていて、あ、これも「古本でも、読む者には新しい価値をもたらす」ということにつながっていいかも?と思い、友人一人にはどっちがいいと思う?と聞いたりしたけれど、もう心の中では「だいもんじ」に決めていた。

     

    ミントコンディション、確かにおしゃれなんだけど、おしゃれすぎる。

    だいもんじ、だったらまず(日本語圏の人にとっては)読み間違えることはない。凝った名前にするより、五文字のひらがなのほうが覚えやすくてインパクトがある。そう直感した。

    その判断は今のところ間違っていなかったと感じている。あと、「古書だいもんじ」とか「だいもんじ堂」とか「だいもんじブックス」とか、「店」「(古)本」を示すWordもあえて入れなかったのだが、それも結構驚かれる。ぱっと見は何ものなのかわからない。

     

    =====

     

    さて、2015年の初めは出張が多いなど仕事に忙殺されていたが、5月頃にふっと出不精の腰を上げて西荻窪の古本屋へ出かけたところ、音羽館に貼られていたポスターで西荻一箱古本市の存在を知り、「こ れ や !」と勇んで申し込みをしたのが記念すべき第1回目の出展だった。

    その時はまだ、どういう本が売れるか、どういうディスプレイがよいかなど、工夫をすることも思いつかず、そもそも「それらしい箱」もないことに前日の夜気づいて大慌てした覚えがある。本のラインナップも今から考えたらイマイチだった。値段を書く付箋に押すように、京都の「田丸印房」で大文字山のイラストが入ったはんこは忘れずに買った。工夫したことといえばそれくらい。本当に手探り、見よう見まねだった。

     

     

     

     

     

     

    一箱古本市との出会いを思い出す

    • 2016.09.13 Tuesday
    • 01:53

    一箱古本市を知ったきっかけはなんだろう?

     

    2014年の上半期は、現職に嫌気がさし転職活動を細々としていたが全く受からなかった。2014年の9月(ちょうど2年前)、某社の面接で、中途の採用でここまでのことを言われないといけないかねというくらいきつい言葉をかけられ、とはいえその言葉が全く説得力を持たないわけでもなく、それが契機となって面接を受けなくなり、誰も雇ってくれないなら古本屋をするのはどうだろう、という、あまい発想が頭をもたげた。

     

    そのころは(今こんなことを言ったらいろんなところから怒られそうだが)各地の一箱古本市の区別もついておらず、都内の某イベントと某イベントを混同したりしていた。

     

    初めて一箱古本市を訪れたのは2014年の11月のみちくさ市。坪内祐三さんのトークイベントに申し込んだのだが、このイベントを何で知ったのかが思い出せない。当時はツイッターのアカウントはもっていなかった。『文庫本福袋』を読んでいたので、そのつながりで検索したのか。

     

    いや、違う。当時、古本屋→起業→区の主催する「女性起業セミナー」に通っていて、古本屋をやりたいといったら講師のおばさんには「そんなんむりむり」みたいな顔をされてイラッとして、実際にできそうなことがないか調べて、一箱古本市というかみちくさ市に行きつき、もう出展は間に合わなかったのでトークイベントに行ってみようと思ったのだろう(2年前の日記からの推論。このころはかなりまめに日記をつけている)。

     

    一箱古本市を最初に見たときの感想は、「楽しそう♡」ではなく、むしろ(起業セミナー参加時と同様)「自分と似たようなことを考えている人が大勢いることに絶望」した(暗い)。

     

    トークイベントの帰りに、北方人さんから『女子の古本屋』を買い、すると「そこに岡崎武志さんがいるからサインしてもらいなよ」「ええっ!でも、古本でもいいのでしょうか?」「大丈夫大丈夫!」と言われるがままに岡崎さんにサインをお願いしてしまった。帰宅してわくわくと読んだ。

     

    そこから、手あたり次第に『わたしの小さな古本屋 倉敷「蟲文庫」に流れるやさしい時間』(最近ちくま文庫から新装版が出た)、『西荻窪の古本屋さん 音羽館の日々の仕事』、『街の古本屋入門 売るとき、買うとき、開業するときの必読書』、『古本屋になろう!』(☞これを京都のけいぶん社で見つけたときの興奮ときたら。購入即決。)を読み、しかしこんな成功例読んでばっかりでもしょうがないよなあ、と悶々としていたのだった。

     

    (続。年が明けて2015年、いよいよ一箱古本市に参加し始めるのだが、だいもんじという名前がぱっとひらめいた瞬間のことをまずは思い出したい)

     

     

    宮田珠己『東南アジア四次元日記』幻冬舎文庫

    • 2016.08.28 Sunday
    • 15:41

    本書で力説される≪宗教=遊園地説≫(p.55~56)は、膝を打ちたくなる納得のロジック。

    (膝を打つ、って熟語としてあるけど、そんなモーションしている人、自分の近くにいるかなあ。いたとしてもおっさんよなあ。若い子って目から鱗落ちるような認識を得られたときにどういうリアクションするんだろう。私は「ハーン!」とか大きい声で言ってしまう)

     

     宗教が遊園地だというのは、それが布教、言わば客寄せのためにそうしたという意味ではない。そういう理由もひょっとしてあるかもしれないが、私が言いたいのは、救いを求める心も、遊びに行きたい気持ちも、その奥底にはどこか別の世界へ行きたいという共通点がありそうだ、ということである。その心理的な類似性が、宗教施設と遊園地を似させてしまうのではないか。

     苦しい現実から逃れたい→どこかへ行きたい→でも遠くは大変だし面倒くさい→てっとり早く行けるところで、なおかつ現実から遠く離れた場所へ行きたい→遊園地でも行くか(宗教にでも入るか)→そうしよう、という発想だ。 (p.56)

     

    本書はブックオフでパラパラめくっていて、タイガーバーム・ガーデンのことが載っていたので思わず買ってしまったのだが、カンボジアへのハードなバスの旅、ベトナムの「盆景」およびミャンマー全体への関心の高まり(道中のミャンマーパートがもっとも熱心に描かれている気がしてならない)、本書は1997年に単行本で刊行されているがそのときすでにバンコクには日本語の本を売っている古本屋があったことなど、大変興味深く読み、そしてこれが一番いけないのだが、自分は渡航しておらずなんの苦労もしていないのに、自分も旅行してきてハア、みたいな気持ちになってしまっている。あまりに面白い旅行記は、出不精にとってはそれはそれで罪なものである。

     

     

     

    宮本常一+安渓遊地『調査されるという迷惑 フィールドに出る前に読んでおく本』みずのわ出版

    • 2016.08.28 Sunday
    • 15:17

    東京はこの週末気温がぐっと下がり、ようやく冷房なしでも集中して本を読めるくらいの環境になってきてありがたい。

    ところで、本を読むのは、暑かったり時間がこまぎれであろうとも、本の波長に自分がうまいこと乗っかれれば案外簡単だが、その感想をきちんと書こうとするとまた、本を読むのと同じくらいの時間がかかるね!

     

    図書館に返す前にやはりきちんと感想をまとめておきたいので頑張る…

     

    『調査されるという迷惑 フィールドに出る前に読んでおく本』は前から読もうと思っていて(何をきっかけに知ったのだったか?)、ようやくタイミングが合い読むことが出来た。だいたいの本について思うことだが、もっと早くに出会いたかった。

     

    歴史学・民俗学・文化人類学などの実地調査に際し、都会の研究者が地方を訪ねたときに、調査地の人間やその後の暮らしを著しく傷つけるようなことが繰り返されてきた具体例(網野善彦『古文書返却の旅』(中公新書)とも関連する話題)とその反省が述べられていくが、アカデミックな調査に限らず、中央(東京、都会とも言い換えられる)から地方へ向かい、何か政策、イベント、取材etcを行うときに起きうることだろう。

     

    何かを質問されたときに、単に質問への回答(出来事、事実の有無など)だけでなく、その時の自分の所感などをつけたくなるものだが、地方にやってくる調査者(大学教授など)は「それはどうでもいいので、質問に答えてくれればいい」というような物の言い方をする、地元ではそのことに落胆したり憤ったりしている、という話が特に読んでいてつらかった。

    確かに、ある仮説を持ち、その仮説を裏付けていくような聞き取り、文書の収集が出来ればそれに越したことはないが、何のために現地に行くかというと、自分が思いもよらなかった、想定外の収穫も期待していくものではないのだろうか。限られた時間の中で、自分の聞きたいことを余さず確認しなければならないという焦りはわかるが、聞き取りをされる側がまずリラックスして話せることを重視し、なにげない話にこそ好奇心のアンテナを高めないといけないのではないか(そして、聞いたことを全部書いていいかどうかはまた別の話だ!)。

     

    「あの膨大な都市計画、膨大な経済計画というのはちゃんとした研究から出てきたのかもしれないけれど、あの人たちは私たちを実験台にしている。地域を自分の学説を実証する手段に使っていると思う。」(p.47)

    「よぉく考えてね。よそから持ってきた智恵や文化で、地域が本当に生き延びられるわけがないのだということを。」(p.48)

    著者(安渓氏)はこのような意見に反論するため、地域の活性化に深くかかわった過程も述べているが、一方でそれが100%よいとは言い切っていない。

    「外部有識者からの意見」「イノベーション」「コラボレーション」とか安直にみんな言うけど、それが消化されて継続するのにどれほど時間とエネルギーを要すると思っているんだろう。東日本大震災のあとも胡散臭いコンサルタントが町を荒らし、金だけかすめとって地域をズタズタにしていったのは記憶に新しい。

     

    また、学術的な調査に限らず、卑近な例であれば、路上観察というか、他の人がこれまで気づいていなかったおもしろさを見出そうとしてそこらじゅう写真に収めてはウェブに投稿することは最近まったく珍しくない。

    ただし、自分の「知りたい」という気持ちが別な人を困惑させ、傷つける可能性があること、調査する側が「知りたい」と思う意図が調査される側に完全に理解されることはおそらくないであろうこと。メディアの「やらせ」もあるだろうし(本書第6章)、あるいは、調査を迎える側が「ウケ狙い」で作ったものに安直にのせられているということもありうる(平家の落ち武者伝説がなんとなく創造されていた例が第1章でふれられている)。

    知りたいという気持ちは、とかく業が深い。そして、期待に応えたいという気持ちも人間として自然なものなので、それが空回りするのもまたなんともむなしい。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    読みたくて困ってます

    • 2016.08.24 Wednesday
    • 00:14

    積読が家に数十冊あるのに、これらの本のことが頭から離れない

     

     

    営業日誌(8/21六日町駅前一箱古本市)

    • 2016.08.23 Tuesday
    • 23:55

    …まず結論から言うと、古本市は遠征すればするほど楽しいぞ!

     

    本当は泊まりで行きたかったが、最後まで決心が定まらなかった(自分一人で車もなくて楽しめる自信がなく。反省)ため、往路は新幹線・復路は比叡山(父)から借りた青春18きっぷで出かける(帰りは六日町を17時26分に発たなければならない)。朝も5時起き。前日、案の定遅くまでフリーペーパーを作っており、ふらふらで―中学の定期テストの直前睡眠時間削りすぎて授業中に吐き気を催していたあの感じ―出発するが、Maxときが目に入るなりテンションがブブブブッと上がった。


    Maxときの車内でもひたすらフリーペーパーを折り続ける。

     

    本は、それなりの量を持っていないとなかなか足を止めてもらえないので、最近は60冊を目安に、新幹線は座席の前のスペースが限られているので、今回は段ボール&ハンディキャリーではなく、普通の旅行用のキャリーカートに(だいぶ車輪がきしんでつらそうだった、スマン)本をパンパンに詰めて降り立ったが、下車してまず思ったんが

     

    コンビニがない…

     

    (でも、なくても結果的に全く問題なかった。)

     

    図書館の前の庇の下に本を並べるので、影やし余裕やろ。と思っていたが、暑かった…膝の裏の汗がすごいのなんの…そして時間が過ぎるごとにどんどん短くなっていく影…古本市の時間は10時〜14時で、実質4時間か、もうちょっとやってたいね〜と言ってたけど、たぶんもう一時間同じ場所にいたら危なかった。

     

    最初のお客様は時間前に、「子供(中学3年生、男子)の読書感想文のネタになりそうな本は何かないか」と声をかけてくださった女性の方。…時期柄(&図書館の前という場所柄)、この質問はあるかなと正直思っていた。が、何の対策もしていなかった。その場でいろいろ必死で考えて、若い人にも知ってもらいたいこと、読んでいるとどんどん興味がわいてくることは何やろう?という点から連想して、佐々涼子『紙つなげ!彼らが本の紙を造っている』(早川書房)と、早田森『新幹線を運転する』(メディアファクトリー新書)をおすすめ。息子さんが読まれなくても、お母さんが読まれても面白いと思いますというと2冊とも買ってくださいました。ありがとうございました。

    …読書感想文、ノンフィクションじゃダメ、とか言われへんよな?と後でちょっと心配になったり。信じられないことに、小中学校の先生は生徒が読んでるものにまじで難癖つけてくるから。一番腹立つの、「その本は君(の年齢)にはまだ早い」と、「本ばっかり読んでいないで外で遊べ」の二つかな。どっちも言われたことある。

    来年、夏場に一箱古本市に参加するときは、読書感想文の書きやすい本とかで選書しようかな。「こういうこと書いたらせんせにウケるかも」の付箋つきで。笑

    その他売れて特に嬉しかったのは、これまで「よく触られるけど、なかなか売れない」の代表格だった、いわきりなおと『国宝トゥナイト』(カンゼン)と、米原有二・堀道弘『京職人ブルース』(京阪神エルマガジン社)。風景印への反応も上々。

     

    それから…あまり客層を想像しすぎるよりは、自分の好きな本を堂々と並べるほうがいいと思っているのだけれど、生活において電車よりも車のほうが重要な移動手段で、おそらくは独身者もそう多くはないところで、いわゆる「独身の会社員がうっすらとした孤独に悩みつつ会社に通うお仕事小説」は本当に多数の共感を呼ぶんだろうか…とかぼーっと考えていた。ドラマとかもそうかもしれんけど。都会のほうが人口多いから都会を舞台にしたフィクションだけあればいいってもんじゃないよな。かといって、『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』に出てくるような田舎は、紋切型の表現な気がしてならない(『なずな』に出てくる地方都市の描写は、ショッピングモールに反発していた人も「ポイントが多い日だけ」とか言ってなんとなくモールに通うようになっていく様子など、真実を衝いているのではないだろうか。車もよく出てくる)。

     

    コンビニはないけど、オムライス、カレー、おにぎり、かき氷、お弁当など、車で来ておいしいものを売っている方がたくさんいらしていたので全く問題なし(今まで参加した古本市の中でもっとも食が充実していたと思う!)。

     

    そして、今回は出展者の方たちとも本当にたくさん話した…

    チャル子さんとは、京都の八条口(新幹線のホームのすぐ南側)の殺風景な景観、あれはいかがなものか、もうちょっと歩いて東寺まで行くとまた違うけどしかしあまりにもぶさいくではないか、京都について最初にアレを目にすると幻滅する、早いうちに何とかしたほうがいい、ところで「京都みなみ会館」は見た目パチンコ屋やけどいい、という話で盛り上がる。また、反対サイドのOldBookKnockさんとは『ガケ書房の頃』についておしゃべりするなど。京都の話ばっかりしてしまった。

     

    片付けが終わってから私は歩いて行ける日帰り温泉に入り、「六日町の一箱古本市の発祥の地だから行くといいよ」と言われたAtmos Cafeに立ち寄ったものの、満席でとぼとぼと帰ろうとしたところ、あっ!いいよいいよここ座りなよ!と主催サイドのお二人が見つけてくれ、電車までの1時間半くらいずーーーーっと(店主さんも一緒に)しゃべっていた。帰路に就く直前のこの時間が一番楽しかったかもしれない…新潟だけでなく、長野でも魅力的なイベントが多く開催されている模様。改めて、車問題(車の有無はともかく、乗れたほうがいいよなあ問題)が持ち上がる。

    Atmos Cafe店主さん、私が在来線で帰るというとパンまで下さいました。ありがとうございました。

     

    帰りの電車の中で、チャル子さんとやまぼうし文庫さんのフリーペーパーを読み…やっぱ作るより読むほうが楽しいな…好きなものにかける情熱の濃度が私なんかはまだまだやなあと思った。

     

     

     

    教文館にて

    • 2016.08.17 Wednesday
    • 00:44

    大変気に入りました。

    小さい絵本。製本がしっかりしているのか180度ぐっと開かなくて、のぞき込むようにして読んだ。

    ハリー、お母さんのいうことは聞かない。表紙からしてもうそっぽ向いてるし。お母さんのことは無視するけど消防士さんには興奮する。どこまでもいたずらっぽい表情。

    現役子どもよりも、子どもOBOGのほうが思い当たるところがあってニッコリしてしまいそう。で、自分の周りの子どもにもやさしくなれそうだと思った一冊。子どもOBOGにプレゼントしたい。

    しかし本を人にプレゼントするってちょっとした賭けよなあ…

     

     

     

     

     

    六日町

    • 2016.08.17 Wednesday
    • 00:40

    色々悩んでいるが、やっぱり日帰りにしようかな…

    古本市終わったら、日帰り温泉入って。

     

    フリーペーパーも何もできていない。本の付箋コメントも一冊もかけていない。

    自分の性格の変だなあと思うところで、いつもいつも、一番したいこと・最も(直ちに)すべきことからちょっとズレたことしかできない。本を読んでいる場合じゃないとき(あと5分で起きて出勤しないといけないときでも、本が枕元にあったらちょっとめくったりしてしまう)に限って読書がはかどるし、読書用に取っておいた時間はだいたい他の事(料理が多いか)をしている。フリーペーパーをつくるのにうってつけなまとまった時間(3〜4時間)は、外出したくなる。そしていつも前日に「連載を抱えている漫画家はこのような心境?」と思いながら血走った眼でPCに向かう。私は何がしたいのだろうか。

     

    夕方立ち寄った銀座・教文館の6F(児童書の「ナルニア国」)で、石津ちひろさんの原画の展示を行っていた。

    回文が面白くて、でもあほなので帰宅するとどれもまともに覚えていない。口に出すといきいきしてくる言葉。(余談だが、先日の「お気持ち」で、「いきいきと」という言葉の使われ方に大変心を打たれた)